2011年12月5日月曜日

ESSに


ボクが・コピーライターに・なった・いきさつ5
実は、というか、すでに述べてきているが、元来、理系を目指していたボクは、理系が得意というより、文系学科が苦手でもあった。特に、当時関学は、英語の配点が高く、周りはほとんどが、英語で合格したような人間が多かったので、一際、英語の能力が低いのを実感した。
話は飛ぶが、中学時代は陸上部で幅跳びと三段跳びで県大会にも出場していたボクは、高校時代にはクラブに属さなかったものの、身体能力には多少の自信を持っていた。大学に入れば、流行のアメリカンフッボールをしたいと思っていたのだが、関学は他を寄せ付けない勢いの王者。チラリと練習を見ただけで、痩せ身の体ではとてもじゃないが、ついていけないだろうと判断したボクは、だったら「苦手な英語を克服するためにESSに入ろう」と、フラリとクラブの門を叩いた。
関学のESSは全国屈指のクラブで、厳しい事でも知られていたが、そんなことは、まったく知らずに入ってしまった。
ESSクラブはイングリッシュ・スピーキング・ササェティの略。英語好きが集まっていた。この時代、毎年100名以上の新入学生がこのクラブに入部していたが、卒業までにはその78割りが退部するという厳しさだった。毎日の英会話の練習に、さらさらついていけないボクだったが、「新入時にはなるべくメンバーを留めておこう」という戦略のゆるやかな活動のなか、劣等生なりに楽しく過ごしていた。

0 件のコメント:

コメントを投稿