2011年12月21日水曜日

マージャン三昧

ボクが・コピーライターに・なった・いきさつ7
とはいえ、英語劣等生のボクにとってESSはもはや、ついていけない世界となっていた。大学の緑の木々が赤く色づく頃、ボクはクラブをリタイヤしていた。
それからというもの、ボクは下宿の仲間たちとマージャンや合コン、合ハイにいそしんだ。ことにマージャンは、幼いころからだいたいのルールを飲み込んでいた。地方記者だった親父は、記者仲間と昼間からでもマージャンをしていることがあった。記者は、祝日、昼夜関係のない仕事で、夜中にも火事や台風洪水など大きな事故や事件があれば、車を飛ばして駆けつけていた。が、昼間でも事件がない時には、新聞の切り抜きや、日々の原稿書き、それが済めばパチンコやマージャンだった。今の時代ではそんな訳にもいかないのだろうが、古き良き時代といえるのだろう。幼い頃から、卓を囲む記者連中の後ろから覗き込み、ひとつのゲームとして、小学生のころには、ほぼ理解していたように思う。
大学では、下宿の同級生たちはマージャンのマの字も知らなかったので、必然、ボクが教えることになった。もちろんルールだけならほんの2030分もあればおぼえる事ができ、時間が有り余る当時の大学生たちにとって、経験を積むことも容易いことで、毎日のようにマージャンに明け暮れた。

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