2011年11月17日木曜日

理系だったのに

ボクが・コピーライターに・なった・いきさつ3

実は、親父が新聞記者をやっていたという背景もあったが、正義感が強く、新聞は社会的な信頼性が高いと判断していた若かりしボクは、新聞記者という職業を目指す事に違和感はなかった。でもその実、親父の戦略にもはまっていた。高校時代、理系の道を進んでいたボクは、新聞記者を目指そうとは、ほぼ思っていなかった。特に、これといって何になりたいという希望はなかったが、数学が得意という理由だけで理系に進んでいたボクに、親父はこれといって何も言わなかったが、高校3年生の夏、親父はこう切り出してきた。「たまたまこんな大学を雑誌で見かけたが、どうや、受験してみたら」と、一揃えした関学の資料をボクに手渡した。当時関学の理系には理学部しかなく、工学系を目指していたボクは、興味を示さなかったものの、親父は、「文科系を受けててもいいんやないか」というような事を言った。
そう言えば、時折、親父は「お前何になりたいんや」と言っていたような気がするが、新聞記者になれ、と具体的には言っていなかったように思う。でも、この時、「ははぁん」、やっぱりボクに新聞記者を継がせたいのだ、と、悟った。幼い頃から新聞記者を見てきたボクは、特にそれに抵抗する訳でもなく、まぁ、理系の大学に行けなければ、それでもいいか、というようなことをぼんやりと考えていた。
とはいえ、ボクはその年、見事に受験に失敗。
1年間、浪人生活を送る事になった。

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