2011年11月21日月曜日

結局文系に


ボクが・コピーライターに・なった・いきさつ4

翌年の春、ボクは関学のキャンパスに立っていた。
浪人の最初から文系を目指した訳ではなく、その年には目指す大学・理系に合格する実力には、何とか達していた。どちらかと言えば、私立の文系、関学のほうが理系を志望していたボクにとっては、不利な条件での受験だったように思うが。不思議なもので、親父の戦略に導かれるように大学・文系に落ち着いた。
大学に入ると、ボクは遊びに遊んだ。今考えると学費も時間も、もったいない話なんだが、「大学に入れば、あとは遊ぶだけ」といった当時の風潮にも流された。
3年生になると、専門ゼミの選択がある。ボクは、志望した「コミュニケーション」のゼミになんとか入れてもらえた。マスに対するミニ、ミクロ社会の世界なんだが、そのゼミは人気が高く、後に、ゼミの教授に話を聞くと、「あなたとA君は、取るのを迷ったのよ」と。それもその筈で、12年時の成績は、「優」が全部で34コ。偏差値にたとえると、40にも満たなかったんだと思う。どうして取っていただいたのか、聞けず仕舞いだったが、それも1つの「縁」。特に意識をしている訳でもなく、ちょっとずつマスコミの道に近づいていた。

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